X(旧ツイッター)のアプリを削除しました

ライフスタイル

毎朝の通勤時間。私の日課は、スマホでX(旧ツイッター)やInstagramを眺めながら、電車に揺られて職場へ向かうことでした。
Xは、最新ニュースをいち早くキャッチできたり、他の人の意見に触れたりと、新しい発見にあふれたツール。便利で面白く、気がつけば毎日の生活の一部になっていました。

けれど最近は、見るたびに気持ちがざわつくような投稿が目に入ることが増えてきました。
ワクチン賛成派VS反対派、政治家の支持・不支持をめぐる口論、有名人にまつわる根拠のないゴシップ。
見たくなくてもタイムラインに流れてきてしまう、そんな場面に嫌気が差すようになっていったのです。

誰かを批判したり、わざと対立を煽って注目を集めようとする投稿が目につくようになり、見ていてだんだん虚しい気持ちになることが増えてきました。

 他人同士の喧嘩を、ひまつぶしのように眺めてしまう自分にも、ちょっとした自己嫌悪を感じるようになりました。

さらに、ありもしない陰謀論や、それを信じる人たちのやり取りも目に入ってくると、胸の奥がスーッと冷えるような、寒々しい気持ちになることもあります。

このまま、こんな情報に無防備にさらされながら過ごす時間って、本当に意味があるのだろうか?

そう思った私は、スマホからX(旧ツイッター)のアプリを削除することにしました。
深く考えたわけではありませんが、「もういいかな」と思った気持ちの流れで、アプリを削除してみました。

実際にアプリを消してみても、今のところ特に不便は感じていません。
それよりも、「なんとなく見ていた」時間の多さに、あらためて気づかされました。
仕事の合間、昼休み、通勤中、寝る前、夜中に目が覚めた時まで。

まるで軽い依存症のように、何度もタイムラインをスクロールしていた自分がいたのです。

思えば最初は、好きなミュージシャンの投稿や、ライブ情報をチェックするのが楽しくて、自分主体、自分の意思で使っていたはずのX。
けれど、いつの間にか流れてくる情報に気持ちを揺さぶられ、心をかき乱され、気づけばXに振り回されるようになっていました。

それでもアカウント削除までは出来ない自分が情けないのですが…

 でも、まずは気軽に見れないようにすることから始めてみよう。
そんな気持ちでの、アプリ削除です。

スマホからXが消えた画面を見て、ほんの少しだけ心が軽くなったような気がしました。
この小さな一歩が、自分の時間と気持ちを取り戻すきっかけになりますように。

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