長い人生の中で、「この人とは合わなくなってきたな」と感じることは誰にでもあるものです。
今回のテーマは、そんな“合わない友達”との関係についてです。
私には中学校の同級生で、長年仲良くしてきた友人がいました。
高校は別々になったものの、私が上京してからも帰省のたびに会ったり、他の友人も交えて定期的に集まったりと、長く付き合いが続いていました。
20代の頃は、中学時代の修学旅行や文化祭、変わった先生やユニークな同級生の話など、懐かしくて楽しい話で盛り上がっていたものです。
会えば笑いが絶えず、何時間でも話していられる、そんな関係でした。
でも、いつの頃からか、彼女の会話は「誰かの悪口」ばかりになっていきました。
もちろん、日常の中でちょっとした愚痴をこぼすことは誰にでもあるし、共感して「うんうん、大変だよね」と頷き合う時間も大切です。
でも、彼女の話の内容はどんどんエスカレートし、ママ友や職場の同僚を誹謗中傷するような言葉が多くなりました。
特につらかったのは、差別的な言葉を平気で口にするようになったことです。「知恵遅れ」や「発達障害」など、耳を疑うような表現を、相手を傷つけるための武器のように使っているのを聞いて、本当に悲しく、やりきれない気持ちになりました。
もちろん、彼女の家庭にもいろいろなストレスがあるのだと思います。
夫が育児や介護に非協力的で、金銭面にもだらしない。話を聞けば気の毒に思うこともありました。
でも、そのストレスのはけ口を、周りの人に向けるような形でぶつけるのは、違うのではないかと思ったのです。
やんわりと「そういう言い方は良くないよ」と伝えたこともありますが、まるで聞こえていないかのように話は続きました。
それでも、地元に帰れば会うのが恒例になっていたため、年に数回とはいえ、彼女と顔を合わせる機会がありました。
しかし、会うたびにどんよりと心が曇っていく自分に気づき、少しずつ「もう、この関係は私にとってプラスではないのかもしれない」と思うようになりました。
そんな時に起きたのが、新型コロナの流行です。帰省も控えるようになり、自然と彼女との距離も空いていきました。
そのタイミングで私は、無理に関係を続けるのをやめる決心をしました。
今も時々「次はいつ帰ってくるの?」とLINEが来ることがありますが、「仕事が忙しくて、なかなか時間が取れない」と返して距離を保っています。
別の友人から「寂しがってたよ」と聞いたこともあります。でも、会っても楽しくない、むしろ疲れてしまう関係を無理に続けても、お互いのためにならないと思うのです。
正直、彼女の怒涛の悪口や人を見下すような話を聞かなくて済む今、私はとても気が楽です。
「もうあの空気を我慢しなくていい」と思うと、心が自由になったような気がします。
人は変わります。若い頃は同じ価値観で笑い合っていた人とも、年齢を重ねるうちに道が分かれていくことはあります。
それは悲しいことではなく、自分を大切にするための自然な選択なのだと思います。
無理に付き合うよりも、自分が心から楽しいと思える人と時間を過ごしたい。
これからの人生は、そんなふうに人間関係を選んでいきたいと思っています。
「合わない友達からの卒業」
これは、決して「見捨てること」ではなく、自分の心を守るための一つの方法だと思います。
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