77才の母と68才の叔母

ジョイアロンについて

私の母には9歳年下の妹、つまり私の叔母がいます。 私が生まれたとき、叔母はまだ中学生だったため、私にとっては「おばさん」というより少し年上の姉のような存在でした。

この母と叔母の二人で、長い間祖母の介護をしていました。 

祖母は2年前に98歳で亡くなりましたが、85歳で歩行が難しくなってからの13年間の介護生活は、私が見ていても本当に大変そうでした。

何が大変だったかというと、母と叔母の介護に対する考え方が大きく異なっていたことです。

母は最初の頃、祖母を自宅に引き取り、食事や排せつの世話などをしながら、デイサービスも活用して献身的に介護を続けていました。 

しかし、母自身も年を重ねるにつれて、その生活が次第に負担になっていきました。 

私が東京から帰省すると、痴ほうが進んだ祖母への苛立ちや、叔母との口論、果ては一日中愚痴を聞かされることも珍しくありませんでした。

「母も大変なのだから、せめて話を聞くだけでも支えになれば」と思いながらも、実の母親のこととなるとつい意見してしまうものです。 

「そんなに大変なら施設に預けたら?」と提案しても、母は「〇子(叔母)が賛成しない」と言い、今度は叔母の悪口を言い出す始末でした。

実際、叔母は祖母を施設に預けることに強く反対していました。 

「実の母親を施設に預けるなんて、そんなひどいことは考えられない」 叔母はそう言い、祖母を家で介護することにこだわっていました。

私の生まれ育った地域では、「年老いた親の面倒を見るのは子供の責任」という考え方が根強く残っており、「面倒を見る」とは施設に預けることではなく、家で一緒に暮らして世話をすることを意味していました。

 実際には、その役割を担うのは長男の嫁であることが多かったのですが……。

そんな母と叔母は、意見の違いを抱えながらも、時に協力し、時に衝突しながら祖母の介護を続けていました。

そんなある日、祖母が膝の骨折をきっかけに入院しました。

 それから1年後、祖母は病院で静かに息を引き取りました。

亡くなる頃には痴ほうも進み、私たち孫の顔も忘れてしまっていました。 

しかし、母と叔母の二人が最後まで祖母を見守り、看取ることができたのは幸せなことだったのかもしれません。

母と叔母の介護への考え方は違っていましたが、どちらも祖母を想う気持ちは変わらなかったはずです。 

祖母が最期の瞬間にどんな気持ちだったのかは分かりません。

 それでも、娘たちに見守られながら旅立つことができたのなら、きっと幸せだったのではないかと願っています。

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