昨日(2025年3月1日)に行われたアメリカのトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の首脳会談は、見ているこちらが息苦しくなるほどの激しい応酬でした。
特にトランプ大統領の発言には驚かされました。ウクライナは侵略を受け、満身創痍の中で戦い続けています。そんな状況の中で、今までの支援の見返りとして鉱物資源を要求するというのは、あまりにも露骨で冷徹な態度に思えました。
しかし、一方で「自国の利益を最優先に考える」という視点から見れば、これは彼なりの正しさなのかもしれません。アメリカにとっては、ウクライナの戦争はあくまでも遠い国の出来事に過ぎないのでしょう。
ゼレンスキー大統領に対しても、服装を揶揄されたり、副大統領から「感謝しろ」と言われたりと、屈辱的な扱いを受けていました。そんな状況で、彼の感情が爆発してしまったのも無理はないと感じます。
もし、この場に日本の首相が座り、同じような扱いを受けていたらと思うと、国民として悔しさが込み上げてきます。
結局のところ、強い国に対して弱い国は蹂躙されるしかないのか―そう考えると、虚しさを覚えずにはいられません。そして、力を持たない国は、力を持つ国に頭を下げ、言われるがままに従うしかないのかと考えると、悔しい気持ちになります。
私たちの世代は、戦争を否定し、武力による解決を避けることを教えられて育ちました。そのため、武器を持つことや国軍の存在に対して否定的な考えを持つ人が多いのが現実です。
今でこそ、災害時における自衛隊の働きに尊敬と感謝を抱いていますが、私が小学生の頃は「自衛隊は戦争予備軍だから良くない」といった印象を持たされていました。
教師が「日本の軍事費を削れば、学校が200校建てられる」という話をしていたことも記憶に残っています。
また、日米安保条約によって「日本が他国から攻められたら、アメリカが守ってくれる」という漠然とした安心感もありました。
そのため、日本に駐留する米軍の存在や、彼らのための『思いやり予算(在日米軍駐留経費)』にも納得していました。
しかし、今回の米ウクライナ首脳会談を見て、多くの人が考えを改めるきっかけになったのではないでしょうか。
私自身、大きく考えを変えました。「自分の国は自分たちで守るしかない」と強く思ったのです。
戦争は、祖父母の時代の話であり、今後起こることはあり得ないと信じていました。
しかし、数十年後にはそうでないかもしれない―そんな恐怖を、今回のニュースで初めて身近に感じました。日本の安全保障について、もっと真剣に考える時が来ているのかもしれません。
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