健康診断で「高音が聞こえない」と言われた日のこと

健康について

昨年の健康診断で、ちょっとショックな出来事がありました。
聴力検査で、今までなら聞こえていたはずの高音域(たとえば4000Hz)の音が、まったく聞こえなかったのです。

いつもなら検査技師さんの「音が聞こえたらボタンを押してください。では始めます」の声に合わせて、
ツーッツーッという音に反応し、ボタンをポチポチ押していくものですが……
そのときは、どんなに耳を澄ませても、音が全然聞こえない。
「……あれ?いつ鳴るの?」と戸惑っていると、技師さんが静かに言いました。

「高音が聞こえなくなっていますね。年齢的には徐々に起こることなので、あまり深刻に考えなくて大丈夫ですよ」

その言葉に、少しホッとした気持ちと、でもやっぱり予想外の結果にショックな気持ちが入り混じりました。
耳は自分では「良いほう」だと思っていたので、まさか高音が聞こえなくなっているなんて、思いもよらなかったのです。


加齢性難聴という言葉

帰宅後、気になってネットで調べてみました。
どうやらこれは「加齢性難聴」と呼ばれるもので、内耳の蝸牛(かぎゅう)にある「有毛細胞」という音を感じる細胞が年齢とともに劣化してしまうのが原因だそうです。
特に高音を感知する細胞は壊れやすく、最初にダメージを受けるのがこの高音域とのこと。

しかも一度壊れた有毛細胞は再生しないため、症状が進めば補聴器などでサポートする必要も出てくる、ということまで書かれていて、さらにドキリ。

思い返せば、最近ちょっとした聞き取りの違和感を感じる場面がありました。
相手の声は聞こえているのに、言葉として意味がうまく入ってこない。
仕事では聞き間違いがあっては困るので慎重に聞き返しますが、雑談や軽い会話では「え?なに?」と何度も聞き返すのも気が引けて、適当に相づちで流してしまうこともあります。
でも話が終わったあと、「あれ?結局なんの話だったの?」とぽつんと置いてけぼりにされることもあって。


父のこと、そして遺伝?

そういえば、私の父も50代くらいからテレビの音量がびっくりするほど大きくなっていました。
母は今でもわりと普通に聞こえているようなので、父からの遺伝的なものも関係しているのかもしれません。
さらに私は幼い頃に中耳炎を繰り返していた記憶もあり、それも影響しているのかもと、いろんな不安が頭をよぎります。


でも、必要なら頼ってもいい

今は見た目も自然でおしゃれな補聴器がたくさんある時代。
「補聴器=年寄りっぽい」というイメージは、ずいぶん薄れてきた気がします。
それでも「自分の体の力だけでは足りなくなってきた」と感じる瞬間は、やっぱり少し寂しいものですね。

けれど、これも自然な老いの一つ。
視力が落ちれば眼鏡をかけるように、耳が遠くなれば補聴器を使う。
無理せず、快適に、自分らしく暮らしていくための選択肢があるということは、むしろありがたいことだと思うのです。


50代を過ぎてから、自分の身体に起こるちょっとした変化が、実は“確実に進んでいる老い”のサインだと気づくことが増えてきました。
でもそれを必要以上にネガティブに捉えず、「これからの暮らしをどう楽しむか」に意識を向けていきたいものですね。

聴こえにくくなっても、笑い声やお気に入りの音楽は、できる限り楽しんでいたい。
そのためにも、まずは“今の自分の状態を知ること”が第一歩なのだと思いました。

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