思えば、これまで本当にいろんな仕事をしてきました。
上京したばかりの頃は、レストランのウェイトレス、スタイリストのアシスタント、クラブホステス、TV番組の衣装制作会社、婦人服の販売など…。そして今はオフィスワークの派遣社員として働いています。
なかでも、スタイリストのアシスタントになれたときは、本当に嬉しかったのを今でも覚えています。まだ岐阜の田舎で高校生だった頃からの憧れの仕事で、知人のメイクさんの紹介でチャンスをもらい、仕事が決まった時は「夢が叶った!」と思いました。
けれど、実際の仕事は想像していた華やかさとは正反対。
雑誌やCMの撮影で使う洋服や靴、アクセサリーをメーカーやショップから借りてきて、シワを伸ばして丁寧にアイロンをかけ、撮影に向けて準備する。
そして撮影後は、元の状態にきちんと戻して返却する。撮影現場に同行することもなく、靴の裏にガムテープを貼って汚れ防止をしたり、使用後の服の襟や袖口の状態をチェックしたり…毎日が地道な作業の連続でした。
しかも、いわゆる「弟子入り」状態なので、時給もとても安く、生活が成り立ちません。
夜はクラブでホステスのアルバイトをして、ようやく暮らしを支えていました。
そんな中、実家から通っている同僚や、親から仕送りを受けている人たちは、生活の不安なく好きな仕事に集中できていて、うらやましく感じたものです。
でも、私と同じように地方から上京して一人暮らししていた同僚もいました。
彼女は、隣の部屋にイラン人が住んでいるような家賃2万円の木造アパートに暮らし、撮影帰りも電車には乗らず、歩いて帰っていたんです。
理由を聞くと、「節約もあるけど、歩いていればいろんなショップが見られて、ファッションの勉強になるから」と、笑顔で話してくれました。
彼女の姿勢を見て、「私はただ表面的な華やかさに憧れていたんだな」と痛感しました。
生活の厳しさと、自分の仕事への覚悟のなさを思い知って、私は一年も経たずにその道を離れることになりました。
その後、テレビ番組の衣装制作会社に就職したものの、こちらも約3ヶ月でクビに。
実は服飾専門学校を卒業していたとはいえ、縫製が大の苦手。ミシンはまっすぐ縫えた試しがなく、実務評価も低かったのだと思います。「入社すれば何とかなるかも」なんて甘い考えは、すぐに打ち砕かれました(笑)。
上京したときに抱いていた「スタイリストになりたい」「テレビやドラマの衣装に関わる仕事がしたい」という夢は、結局叶いませんでした。
でも、今ではあの頃の経験もすべて、私の大切な思い出です。ほろ苦くて、でも懐かしい、青春の1ページです。
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