ジョイアロン 東京での日々 20代

ジョイアロンについて

20代前半、地方から上京して2年。まだまだ慣れないことばかりの中、いろいろな事情が重なり、上京当初から働いていたアルバイト先を辞めることになりました。

それに伴い、寮も月末までに退去しなければならず、新しい仕事と住まいを同時に探さなければならない状況に追い込まれました。

アルバイト情報誌『フロムA』を片手に、仕事を調べては電話し、面接を受ける日々。

必死に職探しを続ける中で、面接では好感触だったにもかかわらず、「ぜひ来月から来てください」と言われた会社からあっさり不採用の連絡が来ることもあり、落ち込むことも多々ありました。

さらに、私は夜間の専門学校に通っていたため、授業の時間に配慮してくれるバイト先でなければならず、条件に合う仕事を見つけるのは至難の業でした。

寮を出る期限は迫るのに、仕事が決まらない。

住む場所と収入源を同時に失う恐怖と不安に押しつぶされそうになり、泣きたくなることもありました。

そんな中、1990年12月23日、有馬記念——オグリキャップの引退レースが行われました。

すでに競走馬としてのピークを過ぎ、近年は敗戦が続いていたオグリキャップ。

しかし、最後のレースで大方の予想を覆し、2年ぶりとなる有馬記念優勝を果たしたのです。

苦境に立たされ、気持ちが折れそうだった私は、テレビの中継を見ながら号泣しました。

「オグリキャップも最後まであきらめずに頑張った。私も頑張らなくちゃ。」

そう思うと、急に力が湧いてきて、気持ちを新たに仕事探しを再開しました。

その後、専門学校に近い百貨店でのアルバイトが決まり、新しい住まいも見つかりました。

年末は引っ越しで慌ただしく過ぎ、年明けとともに初めての一人暮らしがスタート。

ダンボールに囲まれた新居で迎えた元旦は、寂しさもありましたが、それ以上に希望に満ちた、新たな人生の始まりの瞬間でした。

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