今でこそ「推し活」という言葉が浸透していますが、昔はそんな呼び名もなく、熱心なファンのことを「追っかけ」と呼んでいました。
そんな私、ジョイアロンが学生時代に夢中になったのが、1980年代に絶大な人気を誇ったロックバンドBOØWY(ボウイ)のボーカリスト・氷室京介です。
地方でできる精一杯の推し活
当時、友達にCDをカセットテープにダビングしてもらい、時間があればひたすら聴いていました。
我が家にはビデオデッキがなかったため、週末になると友達の家へ「Case of BOØWY」というライブビデオを観に行くのが楽しみでした。
地方に住んでいたため、本物を追いかけることは叶いませんでしたが、学校帰りに町のレコード屋さんへ立ち寄り、流れているプロモーションビデオをほぼ毎日眺めるのが日課に。
限られた環境の中で、できる限りの推し活をしていたのです。
「いつか本物のライブに行きたい…」そんな願いを抱いていましたが、残念ながらBOØWYはすぐに解散。
しかも、解散ライブ「LAST GIGS」が開催された1988年4月5日は、偶然にも私の18回目の誕生日でした。
ライブの様子が載った音楽雑誌を本屋で立ち読みしながら、どんな解散ライブだったのかを想像するしかありませんでした。
初めてのライブ参戦
高校三年生になり、進路を決める時期がやってきました。
私は将来の展望もなく、やりたいことも見つからず、どう生きていこうかと思い悩む日々。
そんな中、幸運にも氷室京介のソロデビュー後初のツアー「KING OF ROCK SHOW」のチケットを手に入れることができたのです。
このチケットは簡単に取れるものではなく、LIVE運営会社の年間会員でなければ入手困難なものでした。
友達のお姉さんのさらにその友達にお願いし、なんとか手配してもらったのです。
本物の氷室京介に会えると思うと、感激のあまり震えるほど興奮しました。
高校三年生での決意
1988年8月17日、小牧市総合運動場野球場(愛知県)で行われた野外ライブ。
当時、シングル「ANGEL」をリリースしたばかりの氷室京介にとって、ソロアーティストとしての初期のライブのひとつでした。
ライブが始まり、1曲目の「ANGEL」が流れた瞬間、たくさんのピンク色の風船が舞い上がる光景を今でも鮮明に覚えています。
まだアルバムを1枚しかリリースしていなかったため、BOØWYの楽曲やカバー曲も多く演奏されました。
BOØWYを愛してやまない私にとって、それはもう感涙ものの時間でした。
地方ではライブの回数も限られ、人気アーティストのチケットを手に入れることは至難の業。
広い会場の遠い座席からでは、ステージ上の姿もはっきりとは見えません。
それでも、「今、本物がそこで歌っているんだ」という事実に胸がドキドキし、言葉にならない感動がこみ上げました。
このライブをきっかけに、「もっとたくさんライブに行きたい」「もっと近くで歌を聴きたい」という気持ちが、私の中でどんどん大きくなりました。
そして、この日、私は決意しました。
「東京へ行こう」と。
推しの力って、本当にすごい。
コメント