私は1970年(昭和45年)、岐阜県のとある地方都市に生まれました。
その町は陶器やタイルの製造が主な産業で、私の両親も私が幼い頃は同じ陶器工場で働いていました。
私は長女として生まれ、弟と妹がいます。
家族5人で社宅に住んでいましたが、生活は決して楽ではありませんでした。
父はパチンコなどのギャンブルが好きで、母は常にお金に苦労していました。
当時、私の同級生の母親の多くは専業主婦でしたが、私の母は昼間は陶器会社で働き、夜は内職をして家計を支えていました。
時代的に家事や育児は母親の仕事とされており、父が家事を手伝うことは一切ありませんでした。
父は典型的な男尊女卑の考えを持つ人で、家庭でもその価値観が色濃く反映されていました。例えば、隣の家の旦那さんが朝ゴミ出しをしているのを見て、「男のくせにゴミ出しなんかしやがって、みっともない」と言うほどでした。
私の進学に対しても、「女はどうせ嫁に行くから」と高校進学さえも渋りました。
当時は『女は早く結婚して子供を産むのが幸せ』という価値観が根強く、私自身もそれが当たり前なのだと思っていました。
しかし、その価値観に疑問を感じながらも、父の反対を押し切って公立の進学校に進学しました。
とはいえ、大学進学までは叶わず、最終的に単身で東京に出る決断をしました。
この選択が、私の人生の大きなターニングポイントとなりました。
東京での生活は、地方とは大きく異なっていました。
地方では、結婚や出産に関する話題が常に身近にあり、「いつ結婚するのか?」「なぜ独身なのか?」といった余計なお世話が飛び交っていました。
しかし、東京ではそういった詮索をされることはほとんどなく、誰も私の私生活に興味を持ちません。
その「誰も関心を示さない」という自由が、私には非常に心地よく感じられました。
もちろん、東京にも個人的なことを聞いてくる人はいますが、独身の人が珍しくないため、「結婚していないんだ。ふーん」で終わることがほとんどです。
特に最近では、個人的な質問をすること自体がマナー違反とされる傾向もあり、より快適に過ごせる世の中になったと感じています。
20代、30代の頃は、恋人がいたこともありました。
しかし、ちょうど海外旅行に夢中になっていた時期と重なり、旅行から帰ってくると音信が途絶えている、ということが何度か続きました。
当時の私にとっては、恋人よりも海外旅行の方が優先順位が高かったのです。
とはいえ、何も言わずにフェードアウトされるのは少しショックでしたし、それなりに落ち込みました。
しかし、恋人がいない時の方が自由に時間とお金を使えることが快適であると気づきました。また、不思議なことに、恋人との別れの後、原因不明の体調不良がすっかり治ることもありました。
どうやら私は、自分の自由が阻害されることに強いストレスを感じ、それが体調不良につながるようです。
この経験を通じて、自分が生きやすい環境や条件を早い段階で理解することができました。
40代以降は、自分にとって心地よい生活スタイルを確立し、本当に快適に過ごせています。
こうした話をすると、まるで結婚を否定しているかのように思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。
私の弟や友人の中には、結婚してとても幸せに暮らしている人も多くいます。
既婚の友人たちともよく話をしますが、結婚していても、していなくても、良いこともあれば大変なこともあるのが人生です。
大切なのは、結婚する・しないにかかわらず、自分に合った生き方を選び、それを尊重し合うことではないでしょうか。
お互いの価値観を認め合い、同じ時代を生きる仲間としてエールを送り合いながら進んでいけたら素敵だなと思います。
これからも、自分の心地よい生き方を大切にしながら、自由で快適な人生を楽しんでいきたいと思います。
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